富山駅から徒歩わずか5分。富山駅から徒歩わずか5分。駅前から斜めに伸びる大きな通りを歩いていくと、柔らかな和紙の風合いをたたえた桂樹舎の暖簾が静かに揺れている。

ここが、昭和25年(1950年)の創業から七十余年、この地で鮨を握り続ける老舗「美喜鮨 本店(みきずし ほんてん)」だ。迎えてくれるのは、東京・渋谷で江戸前の技を修め、祖父・父から受け継いだ暖簾を守る、横嶋幹雄さん。富山湾の地魚を知り尽くしたその手は、今日も静かに、そして確かに一貫を握り上げていく。
東京修業で磨いた腕を、富山へ持ち帰って

カウンターに立つ横嶋さんの歩みは、東京・渋谷の名店での修業から始まる。家業が鮨屋であることは面接のときから隠さなかったという。
「家が鮨屋ですと正直に話しました。親方はとても優しい方で、『一通り仕事を覚えたら、家に帰って頑張れ』と言ってくださった。約3年、東京で修業させていただきました」
不思議な縁もあった。修業先の親方と、ご主人の祖父が同郷だったのである。代を重ねる鮨の系譜に、東京の味わいがそっと流れ込んでいることになる。だが、富山へ戻ったときに待っていたのは、予想外の反応だった。

「小肌やシメサバを出しても、『これ何ですか?』って言われちゃうんですよ。江戸前はこっちではなじみがなかった」
最初は受け入れられるものを出し、少しずつ地の魚へと舵を切った。富山湾の地魚の美しさと、江戸前で培った仕立ての技。そのふたつをどう融合させるか――横嶋さんの本当の勝負は、そこから始まったのだ。
魚屋は地元で二軒。さらに、金沢・近江町市場にある馴染みの「ヤマカ」など、県外にも取引先を持つ。
「富山の課題は、毎日同じ魚が入るとは限らないこと。金沢は物が集まりやすいですから、上手に使い分けています」
富山湾への敬意と、柔軟な仕入れの知恵。老舗が七十余年続いてきた理由が、その一言に詰まっていた。
一貫ごとに理由がある。理論で紡ぐ地魚の仕立て

横嶋さんの仕事を間近で見ていると、すべての所作に「なぜ」が存在することに気づく。
「昔は先輩のやり方を見よう見まねでやるだけで、なぜその作業がそこにあるのか分からなかった。今は違います。理論で考えて、なぜかを理解しなければ、仕込みの時間を短縮しながらおいしいものを作る、という正確な仕事はできないんです」
たとえば穴子。一度温めてから炙るのが美喜鮨流だ。ふっくらと火の通った身を、表面だけ軽く香ばしく仕立てることで、口に運んだ瞬間にほどけるような柔らかさと、鼻に抜ける香ばしさが同居する。煮詰めだけでなく、塩とわさびで供することも珍しくない。
「東京では煮詰めか塩わさびかを選ぶのが普通でしたが、富山ではあまりない習慣でした。ネタの素顔を楽しんでもらいたいんです」
タコの仕事はさらに緻密だ。一度冷凍して半解凍の状態で擦り、表面の汚れをコロッと落とす。酢の酸でタンパク質を凝固させてから水で流し、すっきり爽やかに仕上げる。加熱は80度で20分――1キロから1.2キロという大きさに合わせ、秒単位で時間を調整していく。

貝もまた、加熱することで甘みが増すものは迷わず火を入れる。包丁は薄めに当て、歯打ちという細かな切り目を入れて食べやすくする。

牡蠣は9割火が入ったところで氷水に取って、それ以上通らないようにする。マダイは湯引き、白身はこぶ締め、アオリイカは繊細な包丁目、バイ貝には醤油を塗って炙る。
「東京ではホタテでやる仕事を、富山ではバイ貝でやる。塩で水分を抜くときも浸透圧で必ず塩が先に入る――だから甘くはならない。そういう理屈をちゃんと踏まえて手を動かしています」
スチームコンベクションのような現代的な機器も、温度を一定に保つために上手に取り入れる。語り口は淡々としているが、その一言一言に職人としての誇りが滲む。
「さらっと、喉越しよく」代々受け継ぐシャリの秘密

鮨の命はシャリである。美喜鮨のシャリは、口に含んだ瞬間にさらりとほどけ、喉越しよく消えていく。その秘密は、代々受け継がれる仕込みと、ブレンド米にあった。
「お酢と塩梅はうちの代々のもの」といい、煮切醤油とともに一切変えていないという。
米はコシヒカリだけではなく、てんたかくをブレンドしている。
「コシヒカリ100%だと粘りが強すぎるんです。てんたかくで調節して、さらりとした食感に仕上げる。少し固めに炊いて、口の中でほどけるようにイメージして握っています」
魚の切り方も、握ったシャリの量と釣り合うように計算されている。米と鮨種が、口の中でなるべく同時に消えていく――そのバランス感覚こそが、七十余年の蓄積が生んだ美学だ。
自家製黒作りから能登のクロモズクまで。一品料理に宿る職人の矜持

鮨だけが美喜鮨の魅力ではない。カウンターに並ぶ一品料理にも、この店ならではの哲学が息づいている。
「醤油だけでは気づかない魅力があるんですよ。ネタごとに合う味付けを見つけてあげることで、お客様に『こんな顔もするんだ』と驚いていただきたい」

自慢の自家製黒作りは、イカスミを冷凍でこつこつ溜め、1.5キロのイカでようやく一仕込み分となる手間のかかる逸品。真っ黒に染まった塩辛は、濃厚ながらも澄んだ余韻を残す。
能登で獲れるクロモズクも、この店の名物のひとつ。1年分を馴染みの魚屋に預け、1キロずつに小分けして冷凍保管してもらう。通常のもずくとは太さも香りも硬さも違い、冷凍ゆえの歯ごたえが通年楽しめる希少な食材だ。
バイ貝も種類を使い分ける。中型で加熱しても硬くなりにくい西バイ、柔らかい白バイ、殻の端が立って少し硬めのツバイ――それぞれの特徴に応じて選ばれ、梅貝旨煮として仕立てられる。噛むほどに潮の香りと旨みが口中に広がり、日本酒の肴にこれ以上ないひと品となる。

江戸前で煮蛤が出てくる場面では、あえて能登牡蠣を選ぶ。
「牡蠣用の煮詰めを別に作るんです。穴子の煮詰めで代用すると、牡蠣が穴子の香りになってしまう。蛤なら蛤の煮詰め、牡蠣なら牡蠣の煮詰め、穴子は穴子。それぞれに理由があるんです」

料理とお酒の組み合わせにも、独自の審美眼が光る。横嶋さんは自分で飲んでみて、「これは合う」と感じたものしか並べない。著名なソムリエが来店した折にも「料理と酒の相性が素晴らしい」と唸ったという。
「吟醸のフルーティーな香りが強すぎると、鮨の香りを邪魔してしまう。高い酒を並べるのが目的ではなく、鮨を引き立てる酒を選んでいます」

上寿司(5,000円)、特上寿司(6,500円)、地魚おまかせ鮨(5,500円)、一品料理、コース料理――お客の好みに合わせて構成も自在だ。「握りメインで」と伝えれば、料理を減らして握りを中心に組み立ててくれる。遠慮なく希望を伝える、その気安さもまた、この店の魅力である。
富山の木と暖簾、そして桂樹舎の座布団が迎える空間

カウンターにそっと手をかけると、富山の木が持つしっとりとした質感が伝わってくる。
「県外の名木ではなく、富山の木のほうがこの土地の風土に合う、と建築家さんに言われましてね。その通りだと思いましたよ」

座布団は、富山が誇る和紙の老舗「桂樹舎」のもの。お客を迎える玄関から、座ったときの感触まで、すべてが富山尽くし。まさに「富山で鮨を食べる」体験がここにある。

有田焼の器は、祖父の代からの愛蔵品。未使用で大切にしまわれたものが今なお現役で活躍し、かつて二店舗あった支店を閉じたときに引き上げてきた逸品たちも、カウンターの内側に静かに並ぶ。祖父、父、そしてご主人――三代にわたる鮨屋の歴史が、皿の一枚一枚に刻まれているのだ。

初めての客には、少し身構えた空気が漂うこともあるという。
「初めての方は、割と緊張されるんですよ。でも鮨屋は肩肘張る場所じゃない。リラックスして楽しんでいただきたい。手触りのあるおもてなしを、これからも大事にしたいんです」
同業の若手に技を惜しみなく伝えるのも、同じ想いからだ。
「組合はみんなで盛り上がろうという集まり。いい仕事があれば教え合って、富山全体の鮨が盛り上がっていけばいい、と思っています」
変えないのは、祖父と父から受け継いだ味の核と、お客を迎える真心。取り入れるのは、江戸前の理知的な技法と、時代に合わせた工夫。七十余年の暖簾を守りながら、「美喜鮨 本店」は今日も、富山の味を静かに握り続ける。
富山駅から徒歩5分。北陸新幹線を降りたら、まずは暖簾をくぐってみてほしい。一貫の向こうに広がるのは、海と山、米と水、そしてこの地で生きる職人の誇りが織りなす、富山そのものの景色である。


